私たちが住む場所って
住民からのメッセージ
住民からのメッセージ
県境の架け橋にして友好の証しでもある境水道大橋の向こう、曲がりくねった道の向こうには真っ青な海。
車で走ること十数分。たどり着いた場所に広がる何とものどかな漁村の風景。
ここが私たちの暮らす、美保関です。
えびすさま。
名前だけは、みなさんも知っているはず。
そう、商売繁盛とか、航海の安全などで有名なあの神様です。
このえびすさま、全国に事代主命(えびすさま)をご祭神とする神社は3385社あるとされていますが、その総本社がこの美保関にあるって聞けば・・・、少しは驚きませんか。
美保関の漁港を見守るように立つ「美保神社」。
社は、大社造りを2棟並べて装束の間でつないだ「美保造り」という建築様式が異彩を放つ国の重要文化財。古代、「八束水臣津野命」が出雲の国が小さいことを嘆き、新羅や越乃国から国土を引き寄せて誕生したという島根半島のシンボリックな聖地として、今も人々に崇められています。
俗世の気を払ったような美保神社の森厳な空気。
ただ鳥居をくぐると一気にその重苦しさは消え、港で暮らす私たちの生活が色濃く感じられる「青石畳通り」にたどり着きます。
江戸時代、北前船の西回り航路の風待ち港として栄えた際のこの付近は本通りにあたり、今も通りの軒先には、当時の屋号が掲げられていて、往時の繁栄の歴史を継承。
そんな通りでは、深いシワを顔いったいに蓄えたおばあさん、そして今も海の男として真っ黒に日焼けしたおじいさんの姿を見かけ、その脇では、過去の歴史・神話の重みをまだ知るはずもない、小さな子供達が無邪気に走りすぎていきます。
私たちが暮らす町の自慢
私たちの町では、“隣の顔”をしっかりと確認できます。
えっ、何のこと?
今や都会では隣に住む人の顔さえわからない時代。
ただ、私たちの住む場所では、顔色一つ悪いだけで、「どうした?」そんな心配の声があちこちから寄せられます。みんな大きな家族みたいなもの。
神様の下で、“つながって”いるんです。
そして、
当たり前のことかもしれませんが、私たちの暮らしは挨拶からはじまります。
無邪気な子供たちでさえ、人とすれ違うときは遊ぶの止めてでも、「こんにちは~」と声をかけてくるでしょう。
忘れていませんか?
これは礼を重んじてきた日本人のあるべき姿。
美保関の暮らしには、こうした時間がすべて残され、日常の変わらない風景として描き出されているのです。
美保関のごく日常が、実は都会に暮らすみなさんにはそうではない。
どんな観光名所よりも、どんなおいしい料理よりも、そうした私たちにとっての日常に、もしかして一番驚かれるのかもしれませんね。
本当の幸せがここにあるって信じてる
気がつけば・・・。
おじいさん、おばあさんのやさしい笑顔に、子供達の元気な挨拶に、心があったかくなっている自分がいる。
感じる旅の満足感。
美保関には、偉大な神々とともに、日本人が忘れかけている暮らしがあります。
私たちはいつも元気。
そして幸せです。
だって、目の前には私達の生活を大きな心で見守ってくれる神様がいる。
そして、朝起きれば、青い海が広がり、朝焼けともに輝く大山など、豊かな自然がある。
この町で見つけてください、本当の幸せを・・・。
自慢ですが・・・。
私たちはこの町が大好きです!
美保関ってどこにあるの?
神々の故郷とも称される山陰地方にあって、「出雲地方」と並ぶ神話に彩られる町こそがここ美保関。
島根県の東、島根半島のさらに東端に位置し、古くから国引き、国譲りの神話が残るなど、日本の歴史を語る上で非常に重要な、数々の伝説が数多く語り継がれてきました。
ここ美保関町は、城下町の風情が残る松江市内の中心部から車で約40分。
またここ数年「ゲゲゲの鬼太郎」ブームに沸くお隣り鳥取県の境港市とは海を挟んで向き合うように立地することから、県境の架け橋となる境水道大橋を渡れば車でわずか15分で到着。
真っ青な海を感じながらのシーサイドドライブをの~んびり楽しんでいるだけで、気がつけばさっきまでの華やかな町とは一変。まるでタイムトリップしたかのような、ノスタルジックな漁村の風景が今もなお残っています。