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仏谷寺(ぶっこくじ)/八百屋お七の恋人の墓

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もともとこの地は、「三明院」と呼ばれ後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐に配流される折の行在所。
今でも港から寺に向かう道が行幸(みゆき)の路と呼ばれており、他に美保小路、月名小路の名も残るなど都の面影を偲ばせてくれますが、その後は衰退し、天正年間に再興されたのがこちらの仏谷寺です。
大日堂に安置される古色の美しい薬師如来、日光・月光・虚空蔵・聖観音菩薩の5体仏像は、出雲様式と呼ばれる一木造りで、天平様式を残す貞観時代の作。山陰最古の木仏像は国指定重要文化財にも指定されています。

また寺には、浄瑠璃など芝居の題材として度々取り上げられる「八百屋お七」の恋人、小姓吉三の墓があります。
伝えによると、お七の処刑後、吉三は発心して「西運」と称し江戸より巡礼の旅に出発。各地にお七の地蔵を建てながら、元文2年(1737年)に70歳で亡くなり、それを葬ったのがこの地であるといわれているのです。
住所 島根県松江市美保関町美保関530
お問い合わせ 0852-73-0712
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